選手ブログ#19 石山風吹『それでも僕は戦い続ける』

本日のブログを担当します、1年生の石山風吹です。今回のブログでは「岩教に進学した理由」「サッカー部でのこれまでとこれから」の2つについて書きました。頑張って書いたので、最後まで読んでいただけたら光栄です。

まず岩教に進学した理由についてお話しします。簡潔に言うと、高校時代の監督である小嶺先生と岩教の越山先生とで繋がりがあって、北海道の大学の中でも強豪で、また国立大学ということで学業も疎かにならないという理由で推薦してくださったからです。私は中学時代までは札幌のクラブチームでサッカーをしていました。最初に小嶺先生の存在を知ったのは小学5年生でした。冬の選手権で長崎総附の試合を見た時です。その時から長崎に進学して小嶺先生の指導を受けたいと思いました。なぜそこまで小嶺先生にこだわったのかは明確には覚えていませんが、夏休みの自由研究で長崎総附や小嶺先生について調べ模造紙にまとめたことも思い出です。当時所属していたクラブはドリブルに特化したクラブだったため、周りからはドリブルの名門である静岡学園への進学を勧められました。しかし、小嶺先生の指導を受けたい気持ちがとても強かったため、周りの反対を押し切り長崎総附への進学を決めました。「日本一走る高校」で有名な長崎総附では、想像を絶するような毎日を送りました。罰走やきつすぎるフィジカルトレーニングなどたくさんあります。遠征は全てバス移動で、片道5時間で鹿児島まで行き、負けて帰ってきた日には到着が何時であろうとも学校のグランドで罰走がありました。私は最初の2年間で一度もトップチームに入ることはなく、BチームやCチーム、時には干されることもありました。中々トップチームに上がることができない日々が続く中、自分に足りないものはなんなのかを考えていました。それは、走力だという結論に至りました。次の日から誰よりもフィジカルトレーニングを追い込み、「隣のやつには負けない」という信念で走り続けました。この頑張りが功を奏し、3年に上がる春の遠征ではトップチームに帯同することができました。高校時代誰よりも苦しくきつい思いをしたのは、今の自分を支える大事な要素となっています。高校では、インターハイと選手権と2度全国大会を経験しました。選手権では、ベスト16まで進むことが出来ました。2年間全くトップチームに上がれなかった私が、インターハイの県大会決勝や選手権の県大会準決勝で点を決めることができたのは、それまでの努力があったからだと思います。長崎総附では、トップチームでプレーをする人のみが小嶺先生の推薦で大学に行けるという話がありました。私も小嶺先生に進路の相談をした際、札大と岩教の2つに繋がりがあり、どちらも推薦できると言われました。学校の設備や学業のことも含めて考えた結果、岩教に推薦してもらうことが決まりました。長くなりましたが、これまでの話が岩教に進学を決めるまでの経緯です。

次にサッカー部でのこれまでとこれからについてお話しします。私は学生リーグ第2節の札大戦でトップチームデビューをし、そこから今に至るまでトップチームでプレーをさせていただいています。大学サッカーは高校サッカーと違い、プレーの強度やスピードのレベルが上がります。日々の練習や試合で先輩達のプレーや姿勢を見て私も刺激を受けています。北海道でも上位を張る学校なだけあり、練習の集中力やチームの一体感がすごく、慣れるまで時間がかかりました。「自分も負けてはいられない」というモチベーションで取り組み、学年など気にせず活躍したいと思いました。結果として総理大臣杯では全国ベスト8まで進むことができ、学生リーグでは無敗優勝を達成し、個人では学生リーグの最優秀新人賞を受賞することができました。今の立ち位置に満足することなくこれからも上を目指していきたいです。これからの目標として、引退までの全ての大会において北海道の頂点を獲ることです。1位を取り続けることはとても難しいことですが、現状に満足することなく努力し続けることができれば達成できることだと思います。「口で言うだけなら誰でもできる」と母に言われ続けた言葉を常に頭に浮かべ、自分が満足してサッカーに打ち込める環境や支えてくれる全ての人への感謝を忘れずにこれからも頑張っていきます。岩教サッカー部の応援に加え、石山風吹の応援もよろしくお願いします。長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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