卒業ブログ#6 兼田寛也『4年経ったな』

インカレ1回戦関西学院大戦の遡ること10日前。

私は、捻挫をした。

2022年7月、2023年3月、6月、10月と肩が外れ,

2023年5月、9月と足首を捻ったことを数えて

7度目の離脱に至った。

終わった。と思った。これは過去1番の捻挫だと。痛みで歩けないほどの。

なんとか這いつくばって移動して、アイシングに至るまでに、

10日後に備えた全国大会は…。

ぎりいけるか?いや無理なのか?

という自問自答する感情を抱いたことを覚えている。

全国大会に向けて最大限の身体の調整をしていたにもかかわらず、怪我をしてしまい、

当時はやるせない気持ちで、その感情は宙に浮いていた。

その後、岩見沢メディカル整骨院で診てもらい、松葉杖を借りた。

チームのトレーナーと電話をした。

そして、私の気持ちは折れてしまった。

4年間1度もサッカーから目を背けず真面目に向き合い、高みを目指して取り組んだ自分が、この瞬間だけは高すぎる壁に絶望して、この怪我と向き合おうとしなかった。

受診を終えた帰り道。

同期の渡(わたけん)の車内にて嵐のワイルドアットハートが流れた。

「1度きりの人生転がるように〜♪」

いつも自分も怪我して転がったけど、わたけんもいつも試合中なのに転がってたなあ、

となぜか笑いが込み上げてきた。

「笑って泣いて生きてゆこうぜBaby♪」

笑っていたはずなのに、突然涙が出てきた。

それに気づいたわたけん「泣ーくーなーよ!」

余計に泣いた。

受け止めきれない現実にようやく気持ちが追いついたのだと思う。

出発まで何も出来ない5日間を過ごしたが、

そうして、松葉杖を付きながら、最後の遠征に帯同することになった。

私は、気持ちを改めた。

「最後まで諦めない、その気持ちを証明したい。

できる限りの表現をして、周りに自分の思いの強さを示したい。」と。

松葉杖をついている自分は、スポーツ医学を超えた、自己暗示を持ってでしか表現する方法がなかった。復帰するために、痛いとか痛くないとか考えることをやめた。

「できる」

「やれる」

「うごく」

と。

すると、痛みは日を追う事に小さくなり、身体も動くようになってきた。

身体への負荷は限界ギリギリだったと思うが、痛み止めを試しに飲んでみたり、テーピングを巻いてみたり、そうしたときに動き出す身体に驚いている自分もいた。

そうして直前でメンバーに入ることとなった。

私は、身体に無理を言わせてまでプレーするのはどうなのか

と基本的には考えているが、このような状況を踏まえて、考え方を刷新した。

コンディションの調整が重要であることは前提に、怪我をしている時や、

調子が上がりきらない時にプレーすることは、選手にとっては不満足かもしれない。

しかしそれが、その選手自身の次のステップにつながる経験になる。

と同時に、そういった選手の行動がチームへ与える影響も大きい。

他の人と代え難い強みでチームに貢献できることがあるのであれば、

それはやるしかないと前向きに考えるようになった。

何ができるかと考えた時に自分に課せるミッションは、

「前線での空中戦で競り勝つこと。そのボールを味方に繋げること。」

これは、現状でも誰よりもできる自負があった。

迎えた本番、私はチームのために頑張れたと思う。

しかし、結果は0−4だった。

それでも、大学サッカーをやり切れたという七転び八起き感があった。

同時に、まだサッカー選手として成長したいと感じた。

この全国大会での敗北を通過点にしなければならない。そう自分に言い聞かせた。

今回の結果を良い経験にするためには、この後の行動が重要になってくる。

後輩たちは、この試合を見て感じたことを大事にして、新たなチームで来シーズンから今まで以上のさらなる活躍をしてほしい。

終わってみれば、高校まで経歴のない自分が試合で活躍できた瞬間があった。

それを体現できた環境に感謝したい。

それは、岩教大の魅力の1つでもある。

たとえ、将来の予測が困難なVUCAの時代(Volatility:変動性、Uncertainty:不確実性、Complexity:複雑性、 Ambiguity:曖昧性)と言われる現代社会であっても、チャンスは平等にある。

いろいろな予測や知見を持ちながら、臨機応変に対応し、

結果を出すことに焦点を当てた生活をする。

それが全てである。

アスリートを目指した大学4年間は、必ず今後の自分の人生に生きると考える。

そして今、自分の中で更に劇的な体験を欲する気持ちに駆られている。

そう思えるのも、この環境に入って上を目指したこと経験から得られた心の動きである。

コロナ禍の真っ只中で始まった大学生活も終わりを迎えた。

自分に対して、馬 鹿だと言って、

骨格筋?跳躍力?をそのように褒めてくれた選手もいた。

しかし、今年1月に肩の手術をし、ただのヒトの足に戻ってしまった。

またどこかでそう言われるべく、絶賛リハビリ中である。

そしてこれから、新たな環境に飛び込んでいく中で、

社会人でありながらも、サッカーを本気で続ける意義を探していく。

その歩もうとしている道は、決してなだらかでは無いだろうが、日々精進していきたい。

最後に、4年間様々な面でご指導をして頂いた安部監督ありがとうございました。

そして、北海道サッカーの成長にご尽力されながら、チームを常に気にかけて頂いた越山先生、大雨が降る朝練中、肩を脱臼した際にはめて頂いた濱谷先生、怪我のケアをして頂いた徳さん、加えて、インカレ期間中、外から暗示をかけて頂いた山さん、個性豊かな同期のメンバー、本当にありがとうございました。

また、これまで支えてくれた家族、共に切磋琢磨したチームメイト、チームのサポートをして頂いたスポンサーの方々、岩教大を応援してくれた友人を含めた全ての皆様にこの場をお借りして、感謝したいと思います。本当に、ありがとうございました。

今後も、岩教大サッカー部の応援をしていただきますようよろしくお願いいたします。

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