卒業ブログ#12 松下人樹 「サッカーを続けられた理由」

こんにちは。

本日ブログを担当するのは岩教サッカー部4年、松下人樹です。

人生のほとんどを費やしてきたサッカー人生が11月で終了し、思い描いていた引退の形とはかけ離れていましたが、自分の思いを素直に書こうと思います。

私は幼稚園の年少4歳からサッカーを始めた。これまでのサッカー人生を振り返るとたくさん練習したなと感じる。幼い頃までは、ただただ上手くなりたい一心でずっとボールを蹴っていた。朝5時頃には家を出て学校のグラウンドでシュート練習をしたり、練習後は毎日時間ギリギリまで自主練をしたりして時間があればずっとボールを蹴っていた。自分がプロになって活躍することを信じて大学生になってからも誰よりもサッカーに時間を費やしてきた。大学生になって自由な時間が増え、成人してからは飲み会などと周りには楽で楽しい誘惑がたくさんあった。しかし、そんな誘惑を犠牲にしてまで私がサッカーに打ち込んできた理由が2つある。

1つ目は兄を越えたいから。

私には3つ上に兄がいる。サッカーを始めたきっかけも兄であり、同じクラブチーム、同じ中学、高校と自分の憧れは常に兄だった。小学生の頃、兄が背番号7のユニフォームを着ている姿を見て自分も背番号7をつけ、兄が中学、高校と帝京可児へ行き活躍している姿を見て自分も同じように活躍したいと考え帝京可児へ行った。今思えば自分は常に兄の真似をしていた。今でも兄の服や財布を見て真似をしたくなる時がある。そしてグラウンドでは練習後、最後まで残って誰よりも自主練をしている兄を見て自分も自主練をしていた。

いつのまにか兄のように活躍をしたい、兄を越えたいという想いが強くありました。

また、兄と自分は小学生の時から時間があれば小学校や家の近くのグラウンドへ行きボールを蹴っていた。自分が中学生までは兄の方がキックが正確で、足が速くて体力があって、1対1で負けて罰ゲームでよく走らされていた。しかし、高校生になると私が身体的にも技術的にも成長し1対1でごぶごぶで戦えることが多くなっていたが最終的には勝ちきれずに負けて終わっていた。どんな状況でも筋トレや苦しい練習に取り組んでいる兄を見てきたからこそもっとやらなきゃと思えていた。そんな兄には感謝している。

2つ目は両親からの熱烈な応援があるから。

私は基礎技術には自信がある。これは兄と父との球蹴りと母からの与えられた特訓で培われた。サッカーを始めた時から兄と父と暗くなるまでひたすらボールを蹴って母からリフティング〇回やったら終わりという特訓を受け、毎日暗くなってからも家の庭で明かりをつけて練習をしていた。あの時があったからこそ今の自分があると思う。非常に感謝している。

また、両親は自分が小学生から高校生まで毎週試合までの送迎、試合観戦をしてくれており自分が試合に出て活躍した日の帰りの車では馬鹿みたいに機嫌がよく、試合に出られなかったり活躍ができなかった日には自分以上に落ち込んでいたり悔しさを常に理解してくれた。そんな両親の支えがあったから毎日どんなに辛くてもサッカーを頑張れた。中学3年生の頃、兄が高校3年の最後の選手権の前に前十字靭帯断裂という怪我を負い号泣している母を隣で見ており、自分がインターハイ2回と選手権2回出て兄の分も喜ばせようと決め、高校2年生のインターハイではスタメンで全国出場と選手権の県決勝まではスタメンで出場出来ていた。しかし、高校3年時にはコロナでインターハイが無くなり、選手権も出られずと目標が叶えられなくて、とても悔しかった。だからこそ大学サッカーへの想いは強かった。大学1年、2年の頃は怪我が多く思うようにプレーが出来なかったが、復帰をしてから毎週月曜日と木曜日には自主練に励み大学2年の時に初めてDENSOに選ばれ両親の前でプレー出来たことはすごく嬉しかった。

両親は自分が試合に出ていない時でもずっと応援してくれて、少しでも結果を残せたときには一緒になって喜んでくれた。そんな苦しい時期を何度も一緒に乗り越えてくれた両親には、もう一度サッカーで喜んでほしいと思い、大学最後のインカレに出場して活躍する姿を見せたかったが、結果としては札幌大学に敗北しサッカーとして恩返しすることは出来なかった。これから社会人になってサッカーとは違う形で恩返ししていきたいです。

兄、両親の存在がサッカーを続けられた理由。

最後に新4年生とスタッフへ

1番大切なことは常に「ベクトル」を自分に向けるということです。今年の4年目の一部にはベクトルが常に自分以外の方向に向いておりチームの雰囲気を壊していたメンバーがいましたが、チームが良い雰囲気で良い方向に進んでいるときは4年目が常に良い雰囲気であると思います。良い雰囲気を作り出すためには、4年目が常に物事を他責ではなく自責として捉えており、その姿を見た下級生も自然と同じような意識となりチーム全体へと広まっていき出来るものだと思います。例え、試合に出られなくてもそれをスタッフの選考に対してベクトルを向けていたり、試合に出ているメンバーに対してベクトルを向けるのではなく、自分の足りない部分を練習後残って自主練をしていたり、チームが良くなるように声をかけることが重要であると思います。1~3年生は思っているよりも4年生を見て行動していることを頭に入れ、4年目が常に同じ方向を見て考えて行動することを意識していって欲しいです。自分たちが叶えられなかった道内全冠、全国ベスト8を達成して安部先生を胴上げ出来るように頑張ってください。

安部監督、濱谷先生、徳さん、十河さん、有山さん、越山先生、同期4年間お世話になりました。4年間充実してサッカーに向き合えたことは皆さんがいたからだと思います。ありがとうございました。4年目の最後の年にリーグ戦を優勝できなかったのは悔しい結果に終わってしまいましたが、新4年生が必ず今年は道内全冠してくれるので是非期待していてください。

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