皆さまこんにちは。4年目の菅原流です。
まず初めに、日頃より岩教大サッカー部への多大なるご支援、ご声援をいただき、本当にありがとうございます。
皆さまの応援が日々の活動の大きな力となっています。
今後とも、変わらぬご支援とご声援のほど、よろしくお願いいたします。
前回のブログでは、筑波大学蹴球部、小井戸監督の「死にざま」論を紹介させていただきました。
最後の公式戦に向けて、何を考え、何に向き合い、どのような姿勢で日々を過ごすのか。その積み重ねこそが、自分たちのサッカー人生の終わりを形づくり、後輩たちに残す最後のメッセージになるのだと思います。
そこから約5ヶ月、私たち4年生は、どんな死にざまを後輩たちの目に焼き付けることができたでしょうか。
私個人は、ピッチ外で別の意味での死にざまを見せることになってしまいました。
思い描いていた姿とは大きく異なる形となりましたが、そんな今シーズンを振り返りたいと思います。
1月。私のシーズンは、部員たちからの冷ややかな視線とともに幕を開けた。
原因は、冬期間のトレーニングである。新体上で行われる「コの字ランニング」、GKすら易々と走り切る中、10本、いや、8本すら設定タイム内に走り切ることができなかった。走り出して間もなく息が上がり、みるみるうちに遠ざかっていく仲間たちの背中。情けなさを感じる余裕すらなかった。
「お前、なにやってんだよ」
「きついのはみんな一緒だろ」
「そんなんでどうすんだよ。やれよ」
同期から浴びせられる言葉。ただ、呆れたようなその言葉一つひとつが胸に刺さった。
言い返すこともできなかった。自分でも情けないと思っていたからだ。4年目で副主将を務め、後輩たちに背中を見せる立場でもある。それなのに、たかがランニングメニューすら満足にこなせない。
そんな私を見かねた同期の藤原から、「肺に穴空いてんじゃね、一度病院に行った方がいい」と勧められた。
岩見沢の循環器内科を受診すると、告げられたのは、輸血を伴う入院も検討されるほどの重度の貧血だった。
貧血の原因を調べるため、胃カメラと大腸カメラを受けた。そこで大腸に炎症が起きている可能性を指摘され、札幌の大きな病院を紹介された。
そこからは、検査と通院の繰り返しだった。
幾度もの検査を経て、ようやく告げられた病名は「潰瘍性大腸炎」。大腸の粘膜に慢性的な炎症が生じ、下痢や血便、腹痛などを引き起こす指定難病である。現代の医学では根治的な完治は難しく、症状が落ち着く時期と悪化する時期を繰り返しながら、長く付き合っていかなければならない病気だった。
こうして、私の2026年シーズンは、思い描いていたものとはまるで違う形で始まった。
3月。チームは関西遠征を間近に控えていた。
しかし、私たちは昨年度から抱えていた問題を解決できずにいた。問題の存在は誰もが認識していたものの、正面から向き合うことを避け、結論を先送りにしていた。
そんな中、関西遠征を目前に、ついにその問題について話し合うこととなった。
チーム内でも意見は大きく分かれ、最終的な判断は4年生に委ねられた。そこから、同期で何度もミーティングを重ねることになる。
主将の松家と私などが主張する意見に対し、他の同期たちは真っ向から異を唱えた。話し合いを重ねるほどに溝は深まり、同期という関係だからこそ遠慮もなく、ミーティングの空気は次第に険悪なものになっていき、言葉も次第に鋭くなっていった。
私自身、決して迷いがなかったわけではない。自分たちの判断は本当に正しいのか。ほかに選択肢はないのか。同期の主張にも理解できる部分はあったし、全員が納得できる形を見つけたいという思いもあった。
松家と何度も話し合い、自分たちなりにチームのことを考えて判断しようとしていた。それでも、同期との溝が深まっていくことには、やはり葛藤があった。
話し合いは遠征前日まで続いた。私と松家の強行的な手段は厳しい批判を受け、ミーティングは過去に例を見ないほど荒れた。同期との関係がぎくしゃくしていくことに、何も感じなかったわけではない。それでも、ここで引くことが本当にチームのためになるのか。その問いに対する答えを、簡単に変えることはできなかった。
そんな中、たまたまその場に居合わせた前主将のかなと君が仲裁に入ってくれた。
双方の意見を整理し、互いに譲れる部分を探ってくれたことで、ようやく妥協点を見いだし、関西遠征へ向かうことが決まった。
関西遠征はヤマさんも帯同してくれて、難しい立場ながらもたくさんのアドバイスをくれた。
4月。グラウンドでの活動が本格的に始まり、練習試合が続く時期となった。
選手だけで試合を進めていくことの難しさを感じる日々だった。そんな中、時折グラウンドに足を運んでくださる越山先生は、いつも的確なアドバイスをくれた。その言葉に助けられることも多く、どこかで先生に甘え、頼りきっていた部分も間違いなくあった。それでも、試合を重ねるごとにチームは少しずつ良くなっていった。
一方、私は久しぶりにボランチとして出場した試合、相手のシュートブロックに入った際に膝を捻った。
診断は、昨年と同じ内側側副靱帯断裂。告げられた離脱期間は、約3ヶ月。
チームが少しずつ前に進み始めていたその時期に、私はピッチを離れることになった。徳さんはリハビリ中、チームのこれからについてたくさんの助言をくれた。
5月。シーズンが開幕した。
チームは開幕2連勝を飾り、札大戦を迎えた。結果は1-3で完敗。
ハーフタイム、あさひがチームに檄を飛ばしていた。
「こんなプレーでやっていると言えるのか」
「応援してくれる人に申し訳ない」
「インカレに行くって言っただろ」
本来なら、4年生である私たちが伝えなければならないこと、私が担うべき嫌われ役を、あさひが担っていた。
自分がやらなければならないことを、後輩に任せてしまっている。4年生としての不甲斐なさを突きつけられた気がした。
6月。札大戦の敗戦以降、チームは再び勝ち星を積み重ねていった。
一方、ピッチ外では、チームの運営面で度々問題が起きていた。その度に安部先生は、私にスタッフとしての在り方や、チームが抱える問題について問い直してくれた。
それまで、安部先生がどれだけ先回りしてチームを支えてくれていたのか。細かなところまで目を配り、必要なことを事前に伝えてくれていたからこそ、表面化していなかった問題が数多くあったのだと思う。選手だけでチームを運営する難しさを、身をもって感じる日々だった。
7月。大臣杯全国大会への出場を決めたものの、決勝では札大に1-4で敗れた。またしても、力の差を突きつけられた。
さらに、リーグ戦では北翔大学に敗戦。インカレ出場という目標が、一気に遠のいた。
思うように結果が出ない中、悪いことばかりではなかった。新人戦の開幕に向けて、11・2年生は自主的に練習に励んでいた。自分たちの目標に向かって主体的に取り組む彼らの姿は、チームに良い刺激を与えてくれた。
そして、ようやく安部先生が復帰した。
先生がグラウンドに戻ってきたことで、チームに少しずつ活気が戻ってきて、チームが再び一つにまとまり始めた、そんな感覚があった。
8月。ざわダービー、夏のざわ合宿を終え、チームは大臣杯全国大会に向けて歩みを進めていた。
個人的には、ざわダービーが今シーズン初出場の試合となった。怪我から復帰し、大臣杯に向けて、気持ちが高まっていた。
しかし、8月下旬ごろから、身体に異変が現れ始めた。
一日に6回を超える下痢に、血便、発熱。練習を休む日が続き、再び検査を受けることになった。検査の結果、腸の状態は想像以上に悪化していた。
「明日から入院です」
そう告げられ、翌日から入院生活が始まった。
点滴・絶食生活で、体重は10キロほど落ち、病院のベッドで横たわる日々。
大臣杯全国への道は、あっけなく閉ざされた。
9月。大臣杯全国大会では、立正大学に0-6で敗れた。
スコアだけを見れば完敗だが、試合内容には得られたものも多く、全国の舞台で手応えを掴んだ選手も少なくなかった。中断明けの学生リーグも3連勝。少しずつ、チームが成長していることを感じられる月だった。
一方、私も約20日間の入院生活を終え、ようやく復帰した。
入院中、かつが差し入れてくれたクリームたっぷりのパンを食べた甲斐もあってか、10キロほど落ちた体重も少しずつ戻り始めた。徳さんが組んでくれたリハビリメニューをこなしながら、身体を元の状態に戻すための生活が始まった。
ようやくチームに戻ることができた。しかし、以前と同じようにプレーできるわけではない。焦る気持ちを抑えながら、今できることを一つずつ積み重ねていくしかなかった。
10月。学生リーグ、最後の月。
のぶの初出場、大知のMV、札大戦でのかつとはやとのゴールには心が震えた。
Iリーグは札大に敗れ、プレーオフへの出場がなくなった。プレーオフでの復帰を目標にしていただけに、喪失感は大きかったが、IBの4年生たちの最終戦で見せた姿に心を動かされ、少しずつ気持ちを切り替えることができた。
翌週、無理を言ってIAの最終節に出場させてもらった。復帰後、初めての試合。久しぶりにピッチに立ち、フル出場を果たした。
周りからは驚かれたが、自分でも意外なほど身体には余裕があった。きっと、応援してくれるみんなの力があったからだと思う。
ピッチに戻ったときのおかえりコール。あの瞬間は、思わず涙が出そうになった。もう一度、この場所でプレーできること。そして、自分の帰りを待ってくれていた仲間がいること。そのありがたさを、改めて感じた。
チームもまた、札大戦での勝利によってインカレ出場への希望が見え始め、これまで以上に一つになっていた。
最終節は北大に勝利。しかし、札大も勝利を収め、学生リーグ2位が確定。インカレへの道は閉ざされた。
4年間、何度も目の前で札大がカップを掲げる姿を見てきた。
今年こそは。その思いを抱き続けてきた4年間だっただけに、簡単には受け入れられない結果だった。
そして、大知、安部先生を胴上げすることは叶わなかった。
軽く振り返るつもりが、気づけば長々と書いてしまいました。自分でもびっくりしています。
何か伝えたいことがあったはずなのに、そのときの自分の感情やチームの状況を書き連ねるばかりになってしまいました。
それでもこうして振り返ると、なんとも自分らしいラストシーズンだったなと思います。
そして、どんなときも支えてくださる方々がいたからこそ、チームはここまで来ることができたのだと、改めて感じています。
あさひ、のぞみ
3年生ながらチームの中心に立ち、俺と大知を支えてくれてありがとう。
来年からも、チームを引っ張っていくであろう二人。
チームのために下した判断が、必ずしも仲間に理解されるとは限らないし、自分の苦悩や思いが伝わらないこともある。反発され、厳しい言葉や文句を向けられることもある。
それでも、何を大切にし、何を守るために決断するのか。その軸だけは、簡単に曲げないでほしい。
あと少し、よろしくお願いします。
4年生
あと少し、可愛い後輩たちのために頑張ろう。
スタッフの皆さま
難しいチーム状況の中でも、私たちを見捨てることなく、支え続けてくださったこと、本当に感謝しています。
今シーズンも残りわずかとなりましたが、最後までよろしくお願いいたします。
応援してくださる皆さま
チームは新人戦、そして来シーズンに向けて動き出しています。
最後こそ、タイトルを掲げる姿を皆さまにお見せできるよう、部員一同、全力で取り組んでまいります。

4年間の振り返りや感謝、同期、他の後輩達へのメッセージは、また卒業ブログで長々と書かせてもらいます。
長くなりすぎましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。








