本日ブログを担当します。2年竹野希です。今回のブログでは、自分自身の正直な心情を綴ろうと思います。タイトルを見て、姉の話かと思うかもしれませんがそういった話ではありません。最後まで読んでいただけると嬉しいです。
大学生になり1年が経ち、やっとこの生活にも慣れてきましたが、自分の中でモヤモヤした気持ちがずっと消えることはありませんでした。その気持ちとは、自分がサッカーをし続ける意味があるのかという思いです。高校生のころまでは、コンサドーレ札幌のユースとしてあくまでプロを目指すチームに所属していたため、プロを目指すという明確な目標があり、サッカーを続ける意味について考えることはありませんでした。しかし、今はそういった明確な目標や目印といったものがありません。もちろん岩教サッカー部としての目標や試合に勝ちたい、優勝したいなどの気持ちはあります。しかし、サッカーを続けていてこの先なにになるのだろうか。いくらサッカーが上手かろうとタイトルを何個取ろうが社会に出てしまえば何にも関係のないことです。それなら、勉強をして資格を取ったり、将来のためのことをする方がよっぽど有効的に時間を使えるのではないか、そういった考えが出るようになりました。また、昨シーズンは自分が思うようにことが進むことは少なく、その中で自分的一番熱が入ったiリーグと新人戦はどちらも決勝戦までいき、全国まであと一歩のとこで負けてしまいました。特にiリーグは最後の最後で自分がPKを与えて負けてしまい、唇を噛むような思いをしました。それも重なり、サッカーを続ける意味がどんどんと分からなくなりました。
それでもこれまでの人生で、ほとんどの時間を費やしてきたサッカーをやめることは、自分に自分で負けを突き付けているようで、なにか蟠りのような、ものすごく悔しい思いがありました。サッカーにほとんどを費やしてきて、放課後に友達と遊んだりバイトしたり楽しく部活したりというみんなが普通に味わえるものを捨てて青春をサッカーにささげてきました。それなのに、これで終わってしまっていいのか。また、トレセン活動を含め約10年ともに戦ってきたコンサドーレ札幌の仲間たちの中には、関東一部で活躍する奴や九州代表に一年生で選ばれている奴もいるかと思えば、プロとしてJリーグのピッチに立って活躍している奴もいます。そんな仲間たちを見て、自分はこのままでいいのか、そう思った自分が自分にまだやれることがある頑張れと鼓舞してくるようでした。

今まで続けてきたことは無駄じゃなかった、費やしたすべてが意味を持つときまでサッカーを続ける。最後、サッカーから離れるときに、自分のサッカー人生は特別だった、自分自身によくやったと言ってもらえるように、これからの日々を過ごしていこうと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。