2026卒業ブログ#9 佐々木遥叶「僕のサッカー人生」

みなさん、お久しぶりです。
5番の佐々木遥叶です。

とうとう最後のブログとなってしまいました。本当にあっという間の4年間で、僕の家に風吹が居候していた頃がつい最近のように感じています。

一応文字数が指定されていましたが、僕は文をまとめるのが苦手なようなので、長くなると思いますが是非最後まで読んで見てください。

今年度の大学サッカーをもって、本気でサッカーをするのはたぶん最後だと思います。なので少し僕のサッカー人生を振り返って見たいと思います。

【小学校】
サッカーを始めたきっけは、友達の影響でした。仲の良い友達がサッカーをやっていたので、僕も小学3年生からサッカーを始めました。4年生の頃には、サッカー未経験の父が、審判の資格と指導者の資格をとりました。土日の休みを削ってまで、練習メニューを考えたり、公式戦の審判をやったりしてくれて、大人になった今だからこそ、その大変さに気付き感謝しています。僕が所属していたチームは地区でもそんなに強くないチームで、県大会に行ければいいかな的な感じのチームでした。その中で4年生から上のチームで試合に出させてもらっていて、キャプテンやったり、トレセンいったりしてたので、何となく俺上手いな〜って思いながら、自分の思い通りにプレーできていました。

【中学校】
小学校のチームの友達が、ヴェルディ岩手というクラブチームに入ることを聞き、負けたくないと思って自分も入りました。なんとなく通用するかなって思ったら、全く通用せず、全然試合に出れませんでした。唯一出れたとしたら、早生まれだったので1個下の学年と出た試合でした。3年間トップに関わり続けることなく、中学サッカーは終了しました。ここで初めて大きな挫折を味わいました。

【高校】
最初は近くの高校で楽しくサッカーしながら高校生活を送ろうとしていました。しかし、せっかくやるなら強いところでサッカーしたいと思い、祖父の家がある遠野へ行きました。その時の遠野は県で6連覇くらいしていて、岩手のサッカー少年が憧れる高校でした。特に中学校でいい成績を残してなかったので、中3の冬に少し勉強して一般で入りました。やはり入学してみると、名前の知っている人達ばかりで、どうやって試合に出ればいいんだろうって思ってました。1年生の頃は1番下のカテゴリーで、よく澤村先生に怒られてばっかりだったことしか覚えていません。2年生になると、身長も伸びてきて、少しずつトップチームに関われるようになってきました。でもやっぱりスタートで出れるような実力はなく、自信を持ってプレーできていませんでした。しかし新人戦では初めて1桁の番号をもらい、しかもキャプテンや監督が高校時代につけていた5番をもらい、素直に嬉しかったし、やってやろうと思いました。試合を重ねるごとに自信を持ってプレーできるようになり、初めて県で優勝することが出来ました。そして3年生ではレギュラーとして試合に出させてもらい、プリンスリーグ、高総体、選手権と、とても良い経験ができました。良い結果を残すことはできませんでしたが、この1年間でとても成長でき、これまでで1番楽しい1年間でした。

【大学】
高校で思うような結果を残せなかったので、大学でもサッカーをやって全国に出たいと思っていました。大学を探している時に、顧問の先生から岩教を提案して頂き、夏に練習参加しました。練習参加して1番に思ったのが、「仲が良い」でした。ほんとにみんな楽しそうにサッカーしていて、自分もここでサッカーしたいと思いました。なんとか推薦で合格して入学することができました。
1年目は初っ端で怪我してみんなが試合に出たり点決めたりして少し焦りがありました。でもIリーグで沢山試合に出れたし、色々あった大臣杯や学生リーグでトップに関われたことはとても良い経験になりました。
2年目も怪我スタートでなんとか天皇杯のベンチに入れたものの、なかなか学生リーグでスタメンで出ることはできませんでした。しかし少しずつスタメンで出れるようになり、大臣杯では優勝でき、全国大会に2回も出場することができて、今までのサッカー人生で1番の経験が出来ました。
3年目は天皇杯前に怪我をして、公式戦に1試合も出場することができませんでした。なかなか膝の腫れが引かない中、週4でスポクリに通い、リハビリしていました。みんなが楽しそうにサッカーしている中、ボールも蹴れないし走れないし、はやくサッカーしたいな〜って思いながら約6ヶ月過ごしていました。特に大事な試合で点数が決まった時はみんなと一緒にピッチの中で喜びたいなって思ってました。今思えば怪我して筋トレ沢山出来たし、サッカー以外の仕事を沢山経験できたし、怪我して良かったこともあったなって思っています。もちろん怪我しないことがベストですけど。
そして4年目は頼れる先輩がいなくなり、自分たちで考えて行動することが増えました。練習で引っ張っていく人がいなく、特にシーズン前は楽しくサッカーできていませんでした。それでもみんなで色々話し合い、少しは立て直す事が出来たかなって思います。そしてシーズンが始まり、前期はなんとか勝てていましたが、中期・後期で負けるようになってしまい、結果的に学生リーグは3位という結果になってしまいました。こうなった責任は4年生にあると思うし、もっと4年生が積極的にやらなければならなかったと思います。シーズン中に修正できなかったのは本当に後悔しています。かなとに頼りすぎていたなって思います。結果的に見たら悪いシーズンでしたが、1年間サッカーやっていなかったせいか、とても楽しいシーズンでした。点が決まったらみんなで喜んだし、決定機を阻止したらみんなで良い声を掛け合えたし、本当に楽しいシーズンでした。

今までのサッカー人生は本当に楽しいサッカー人生でした。よく親に「サッカー行きたくないって1回も言わなかったよね」って言われます。たしかに今まで1回も言ってこなかったと思います。それは本当にサッカーが楽しくて、点が決まってみんなで喜んだり、出来なかったプレーが上手くいったりするのが好きだから、良いチームメイトや指導者に出会えたからこそ、これまでサッカーを続けてこれたと思います。僕のサッカー人生に関わってくれた人達に本当に感謝しています。

最後に、安部先生、濱谷先生、越山先生、野村先生、徳さん、有山さん、十河さん、山さん、4年間本当にありがとうございました。言葉では表しきれない程感謝しています。特に安部先生には沢山お世話になりました。大学の教授や非常勤、ゼミや家庭がある中で、自分の時間を割いて指導してくれて、本当に感謝しています。昨日の先生家の食事会での話を聞いて、先生は本当に岩教サッカー部が好きで、岩教大サッカー部のために頑張っているんだなって改めて実感しました。本当に4年間ありがとうございました。また、スポクリPTの3人には特に3年生の頃お世話になり、特に徳さんには沢山お世話になりました。ちょうど怪我人が多い中で、色々なトレーニングを考えてくれたり、栄養の事も沢山教えてくれて本当にありがとうございました。また冷麺食べたくなったら連絡してください。

後輩のみんな、本気でサッカー出来るのはあと少しです。終わった時にあれやっとけば良かったなって後悔しないように、日頃の練習から100%で頑張って。後悔してからじゃ遅いです。報われるまで努力してください。

同期のみんなはほとんど北海道残って定期的に集まるんだろうけど、たまには本州に来てね。俺は年2回は北海道行きたいので、行った時はみんなで飲み行きましょ。

長くなりましたが、今まで僕のサッカー人生を支えてくれた方々本当にありがとうございました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
今後とも岩教大サッカー部の応援、よろしくお願いします。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次